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6/30/2010

+ 白洲正子の父・樺山愛輔の信条

知ってる方もいるかもですが、白洲正子というのは、去年巷でブームになった白洲次郎の奥さんで、随筆家でもあります。その父・樺山愛輔はあまり有名な人ではないですが、愛輔の父・樺山資紀(かばやますけのり)が薩摩藩士で明治維新後政治家・軍人となって伯爵の称号を得ているというお家柄の人です。愛輔自身は若い時アメリカとドイツに留学して、帰国後長い間の大病を経て実業家となり、また政治家でもありました。大病をしていたせいで政界にはそれほど長くいなかったらしいですが、注目すべきはその実業家としての生き方。

娘の白洲正子がこんなことを書いています。

『父のした仕事は、ここに麗々しく述べるまでもないが、水力電気のほか、いくつかの会社に関係し晩年はもっぱら国際間の文化交流につくしていた。いつも縁の下の力持ち的存在に甘んじ──というより積極的にそういう役目を自分に課し、一つの仕事が完成すると、後は人に任せるという態度に終始した。職業は実業家でも、心はまったく昔のままの侍で、そのうえアメリカでピューリタン的な教育をうけたから、娘の口からいうのもおかしいが、清廉潔白を絵に描いたような人物だった。
だから人には信用された。その一生は、「信用」の上に成り立っていたといっても過言ではない。自分は無力だったが、どんな事業でも、父が頼めば人もお金も集った。私が子供のころ、あるアメリカの女性に、「日本でも社会事業のために、お嬢さんたちがお金を集める習慣があるか」と聞かれたとき、「パパがひとこといえばすぐ集るから、その必要はない」と答えたので、笑われたことがある。』

そして「これってドラッカーだわ」と思われる事例。
『以外に父は強固な意志の持ち主で、長年の間に習練を積み、いやなことは我慢し、いい所だけ見るように努めた結果ではないかと思う。
このごろは批判精神というものが旺盛で、それも結構なことには違いないが、批判もすぎれば切りがなくなる。それより物事のいい面を探し出し、人間の美点をみつけたほうが、世の中のためになる、おやじがいたった人生観とは、そういうものではなかったか。
父は人を使うのがうまかった。よくあんな奴を、と思うような男の面倒を見、その長所をひき出した。いつの間にか欠点は長所の中に吸収され、判別がつかなくなった例も少くない。当人たちは気がついていないだろうが、そのほうがおやじとしては満足したと思われる。が、結局のところ付合いとは、誰にとってもそうあるべきではないだろうか。』 
 (『 金平糖の味 』 1964年「朝日ジャーナル」6/7号より)

まるでドラッカーの名言をそのまま体現しているような生き方をしていて、とても興味深いです。しかもこの方、今から100年前ぐらいに活躍された方。武士道って、やっぱり大事かもと思います。

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