『言葉は社会の中で育まれる。』
これは、私が固く信じている事柄です。
言葉は机の前で育むことはできません。
本を読む以前の段階で、その言語の基本的構造を知らねばなりません。
本を読むことで社会のいろいろな事柄・世界を知ることができる、と言う方がいるかもしれませんが、そうでもないという事例を私は体験しています。私は小さい頃童話の中に出てきた『かわら』という言葉が理解できなくていらいらしたことがあります。身近な場所に『かわら』という場所がなかったからです。家の『瓦』はわかります。日本にはどの家にも『瓦』がありますから。けれど、川にある『川原』がどういうものか、全く想像できませんでした。多分辞書で調べたとしても想像できなかったと思います。なぜなら、見たことがなかったから。うちの近くには川原ができるほどの大きな川はなく、小さな小川か護岸工事のしてある川しかなかったんです。
経験がないと言葉が理解できないことは多々あると思います。
言語は経験なんです。
体験し経験することで言葉を覚え、理解できます。
経験したことのないことは、言葉も知りません。
これは専門用語の習得の際、思い知らされることです。
大人の言葉を子どもが理解できないこともあります。
経験の量が違うからです。
聖書の中の逸話から来る言葉を話されても、日本人にはとんと理解できないことがあります。反対に、日本の民話を普通に話してもアメリカ人には何のことかわからないでしょう。双方、お互いの文化の中に染み付いている概念とその経験がないからです。
そういうことを踏まえた上で、子どもにいろんな体験・経験をさせてあげたい、と思っているこのごろです。