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12/30/2010

言葉・ことば・コトバ・Language その2

思い出したんですけど、軽井沢で出会った異国同士のカップル+その子どもの組み合わせでは、ほぼ100%母親が日本人でダンナががいじんでした。日本人の父+外国人の母ってのは、見なかったなー。どういうことだろ?

それにしても、みんな母日本人・父異国人という組み合わせにも関わらず、その子ども達の言葉の獲得はほんとに様々で、それぞれが違った獲得の仕方をしてる。これは興味深かった。できれば、本当はもっと調査したいとこだけど、そんな状況でもないし、権威もないし、しょうがないけれど。そういうの、Anthropologistができる仕事なんだよね。。あーあ。

思うんですが、複数の国籍の両親を持つ子どもには、その子が将来どこの国で生活してもらうのか親が真剣に考えて、そのための基礎を作ってあげるのが親の義務だと思うんです。複数の言語(聞く・しゃべる)をいくら自由に操ることができたとしても、文語(読む・書く)ができなかったらその国でまともな社会人として認められない。ほら、日本に来てるがいじんさん、あの人達日本の新聞読めないし、日本語書けないもんね。普通に。(稀に日本語の文語を操るがいじんさんもいることはいるけど。)日本人が得だなと思うのは、私達、英語の読み書きはちゃんとできるので、しゃべる・聞くをマスターすれば、とりあえず国際的な会社で間に合う。つまり、翻訳も通訳も日本人はできるんです。でも、がいじんさんは日本に来て読み書きができないから、通訳としてでしか役立たない。でも普通の会社が要求するのは、英語ができる人は翻訳・通訳両方できる人を望んでいるんです。日本語読めないなんて言語道断。てことで、日本人は得だと思うんです。

その国で生活していくには、聞くしゃべるだけじゃダメで、読み書きも大事なんです。なので、複数の言語を習得させようとするのなら、どの国の言語でもいいけど、どれか決めたら、読み書き・聞くしゃべるを全部きっちり習得できるようにするのが親の義務です。 でないと、その子の母語もままならず、その子のアイデンティティも定まらなくなる。言語がきっちり定まっていないと、その子の将来も不安定なものになる。まともな思考もできなくなるし、よって社会的にも不安定な人間になってしまう。

心して欲しいものです。
複数の言語環境を子どもに与えてる親は。